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ちいさなできごと
小さな出来事
寺田 寅彦
「中央公論」1920(大正9)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,533 字 · 29 页
」
これだけで端書の余白はもうなくなってしまったが、これが端緒になって私はこの虫について色々の事を考えたり想像したりした。
昔の学者などの中にはほとんど年中、あるいは生涯貧しい薄暗い家の中に引き籠ったきりで深い思索や瞑想に耽っていたような人もあったらしい。こんな人達はすぐ隣に住んでいるゴシップ等の眼にはあるいはちょうどこの簑虫のように気の知れない、また存在の朧気なものとしか見えなかったかもしれない。現世とはただわずかな糸でつながって、飄々として風に吹かれているような趣があったかもしれない。ただ簑虫とちがうのは、幾年かの後に思索研究の結果を発表して、急にあるいは徐々に世間を驚かした事である。しかし中には纏まった結果を得なかったり、また得てもそれを発表しないで死んでしまった者も沢山あるかもしれない。そんな人は脇目にはこの簑虫と変ったところはなかったかもしれない。
こんな空想に耽りながら見ていると、簑の上に隙間なく並んでいる葉柄の切片が、なんだかこの隠れた小哲学者の書棚に背皮を並べた書物ででもあるような気がした。
この簑について思い出すのは、私が子供の時分に、母か誰かに教わったままに、簑虫の裸にしたのを細かに刻んだ色々の布片と一緒にマッチの空箱の中に入れて、五色の簑を作らせようとした事である。