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やまのこんじゃく
山の今昔
木暮 理太郎
「山岳講座」1936(昭和11)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,554 字 · 42 页
この気運の中に芽生えて、我国に固有なる神祇の思想と巧に衝突を避けつつ調和を図り、遂に国民思想と同化した宗教的登山が後日の隆盛を来したのは誠に偶然ではない。
然しこの宗教的登山の開祖達が各所の高山を開いた記録は、信ず可きものに乏しく、多くは伝説程度に止まっているのは遺憾である。中にも聖徳太子及び役行者は、諸国の高山で最初の登山者として伝えられているが、これは後世から附会された説に過ぎないものと思われる。尤も役行者は修験道の始祖と崇められる偉人であるから、修法の為に諸国を跋渉したであろうことは認めてよいが、其間に人跡未踏の高山を幾つか登攀したということは考えられない。加之山の開祖に取りては、登頂を果すことが登山の目的の全部ではなかった。現代の登山が登頂と同時に其目的の全部を完了するのとは違っていた。登頂は登山の目的の前半であって、後半に一層重大なる使命が残されている。即ち有縁の衆生を導いて登山の忍苦に依り、凡夫と雖もよく神人交感の境地に到ることを得て、浄行の法悦に浸り、六根を清浄にし、息災延命を前途に約束し得る喜びは、偏に開祖の徳によるものなることを感悟せしめ、長く結縁を存続せしむるようにしなければ、其本願は空に帰し、神に祈誓して登山した甲斐がない、その為には事情が長く本拠を離れることを許さなかったであろう