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さんじょうこ

山上湖

豊島 与志雄

「新潮」1949(昭和24)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,912 字 · 22 页

青空文庫

彼方の対岸には、山水や湧水を湛えてる八十平方キロに近いこの広い湖水の水を、ただ一方の口から流出さしてる急湍があるけれど、それも見に行く気がしなかった。普通の溪流とさして変りはないだろう。他には大して見物するところもないようだ。私はただ旅館の近くをぶらついた。平田も、私を一人残して遠くへ行きたがらず、近くをぶらつくだけで、その他の時間は、新聞をかりてきて丹念に読むか、熊の木彫かだ。どうして熊なんか彫る気になったのだろう。外にする仕事がないからだ、と彼は言った。詩を作ることも面倒くさくなったのかしら。毎晩、濁酒を飲んだ。

彼は詩人なのだ。私立大学の語学教師をし、外国の詩を日本語に飜訳したりしていたが、本当の仕事は詩作にあった筈だ。私は彼の詩の純粋無垢な情緒に心を抉られた。その詩作はどうなったのだろうか。

そこまで尋ねることは、私には恐ろしかった。私自身、ひそかに手に入れた毒薬を、カバンの底に秘めている。彼もたぶん、毒薬をどこかに秘めてることであろう。私達は互に、そのことをおぼろに感じながら、あらわに打ち明けはしなかった。服毒入水、それが最も気安いと、熱い抱擁のうちに嘗て囁き交わしたことがある。