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やまもとゆうぞうしのきょうち
山本有三氏の境地
宮本 百合子
「文芸」1937(昭和12)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,155 字 · 32 页
すべてを勉強に打込む。傍らストリンドベリイの「死の舞踊」を翻訳し、洛陽堂から出版。
一九一七年。舞台協会の監督となって武者小路の「その妹」を演出する。この年結婚したが間もなく合意の上離婚。山岸博士の推薦によって早稲田大学の講師となる。
一九一八年。記すべきほどのことなし。ただかなり真面目に勉強し続けていたので、肚の中に何かが漸く発育し始めたような気がする。
一九一九年。「津村教授」を帝国文学に発表。一行の批評も受けず、黙殺される。本田華子と結婚。
一九二〇年。『人間』正月号に「生命の冠」を発表。二月明治座に上演。翌月更に大阪浪花座に於て続演。はじめて戯曲家としての存在を認めらる。「津村教授」と二つ合せて戯曲集「生命の冠」を新潮社より出版す。著者の作の書物にまとまりし最初のものなり。四月、「嬰児殺し」を『第一義』に発表。十月文芸座によって「津村教授」初演。菊池、久米、岡本、中村氏等と劇作家協会を創設。三十四歳の時である。
翌一九二一年。「坂崎出羽守」を発表。翌月市村座で初演。「嬰児殺し」有楽座で初演。
一九二二年。「女親」帝劇に於て初演。大倉喜八郎一夜帝劇を買切りし際、「女親」