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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

頬がふっくらとして、鼻が高かった。その滑かで柔い頬を、指先でちょいとつっつくと、顔全体がくしゃくしゃな渋面となった。はっと思ってるまに、それがまた静かに元に返った。

赤ん坊もまた疲れてるのだ。

「あなた、何をなすっていらっしゃるの?」

振り向くと、秋子が眼を開いていた。咄嗟に彼は思い出して、真綿の帽子を赤ん坊に被せてやった。

「馬鹿に長い頭だね。」

秋子はただ微笑んだ。そして云った。

「もうお寝みなさいな。」

「うむ。」

曖昧な返辞をしたまま、彼は腕を組んでじっと坐っていた。虫の声がまた俄に響いてきた。聞くともなくそれに耳を傾けてるうちに、彼は底深い夢想に沈んでいった。

「あなた!」

それが、彼を喫驚さした。

「なぜお寝みなさらないの?」

秋子が底光りのする眼で彼の方を見守っていた。彼は眼を外らして室の中を見廻した。凡てがひっそりとしていた。母と子との枕頭にいつまでも端坐してる自分の姿が、頭の中に浮彫となって映った。何とも云えないかすかなざわめきが、室全体を外から包んでいた。

彼は突然恐ろしくなった。背中が冷たくなったのを強いて立ち上った。

「もう夜明けに近いかも知れない。