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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

「ええ、どうもそうらしいわ。」

彼女はその態度から声の調子まで落着き払っていた。

順造は縁からぶら下げてる足をやけにばたばた動かした。

「どうなすったの?」

振り向いてみると、笑ってる彼女の眼がこちらを覗き込んでいた。彼は軽蔑されてるような気がして不愉快だった。眼を外らして考え込んだ。が、もう何にも考えることはなかった。それにきまってるとすれば、残ってるのは今後のことだけだった。そうだ! と彼は心のうちで叫んだ。

「姙娠ならそのままにしておいちゃいけないじゃないか。医者に診せてごらんよ。産婆にもかからなきゃなるまい。何だったかな……そう、岩田帯とかもするんだろう。それから……。」

「そんなに慌てなくっても大丈夫ですよ。」

順造は気勢をそがれてきょとんとなった。それを更に頭から押被せられた。

「私はただ一つ約束して頂きたいことがあるんです。あなたは何かと云えばすぐ私を打ったり叩いたりなさるけれど、ただの身体ではないんですから、少しは遠慮なさるのが当り前ですわ。もしお胎の子供に傷でもついたら、どうなさいます? 姙娠中は転んでも危険だというじゃありませんか。七ヶ月か八ヶ月目に、縁側から足を踏み外して落っこったため、生れた赤ん坊が、顔半分すっかり赤痣になっているというようなこともあるそうですよ。