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いようへん

影を踏まれた女

岡本 綺堂

岡本綺堂『影を踏まれた女』。同一底本的分册已合并为一书。收入:異妖編、月の夜がたり。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,110 字 · 46 页

青空文庫

「あれは一体なんだろう。」

彼は馬琴の八犬伝を思い出した。里見義実が三浦の浜辺で白龍を見たという一節を思いあわせて、かの怪物はおそらく龍であろうと考えた。不忍池にも龍が棲むと信じられていた時代であるから、彼がこの凄まじい暴風雨の夜に龍をみたと考えたのも、決して無理ではなかった。伊四郎は偶然この不思議に出逢って、一種のよろこびを感じた。龍をみた者は出世すると言い伝えられている。それが果して龍ならば、自分に取って好運の兆である。

そう思うと、彼が一旦の恐怖はさらに歓喜の満足と変って、風雨のすこし衰えるのを待ってこの門前から再び歩き出した。そうして、二、三間も行ったかと思うと、彼は自分の爪さきに光るものの落ちているのを見た。立停まって拾ってみると、それは大きい鱗のようなものであったので、伊四郎は龍の鱗であろうと思った。龍をみて、さらに龍の鱗を拾ったのであるから、かれはいよいよ喜んで、丁寧にそれを懐ろ紙につつんで懐中した。彼は風雨の夜をあるいて、思いもよらない拾い物をしたのであった。

無事に御徒町の家へ帰って、伊四郎は濡れた着物をぬぐ間もなく、すぐに懐中を探ってみると、紙の中からはかの一片の鱗があらわれた。