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かれはむかしのかれならず

彼は昔の彼ならず

太宰 治

「世紀」1934(昭和9)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,274 字 · 57 页

青空文庫

胸像のかたわらには、鶏頭の花が咲いていた。少女は耳の附け根まであかくなった顔を錆びた銀盆で半分かくし、瞳の茶色なおおきい眼を更におおきくして彼を睨んだ。青扇はその視線を片手で払いのけるようにしながら、

「その胸像の額をごらんください。よごれているでしょう? 仕様がないんです。」

少女は眼にもとまらぬくらいの素早さで部屋から飛び出た。

「どうしたのです。」僕には訳がわからなかった。

「なに。てい子のむかしのあれの胸像なんだそうです。たったひとつの嫁入り道具ですよ。キスするのです。」こともなげに笑っていた。

僕はいやな気がした。

「おいやのようですね。けれども世の中はこんな工合いになっているのです。仕様がありませんよ。見ていると感心に花を毎日とりかえます。きのうはダリヤでした。おとといは蛍草でした。いや、アマリリスだったかな。コスモスだったかしら。」

この手だ。こんな調子にまたうかうか乗せられたなら、前のように肩すかしを食わされるのである。そう気づいたゆえ、僕は意地悪くかかって、それにとりあってやらなかったのだ。

「いや。お仕事のほうは、もうはじめているのですか?」