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かれはむかしのかれならず
彼は昔の彼ならず
「世紀」1934(昭和9)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,274 字 · 57 页
金があったらねえ。」
「どうしたのです。へんに搦みつくじゃないか。」
僕は膝をくずして、わざと庭を眺めた。いちいちとり合っていても仕様がないと思ったのである。
「百日紅がまだ咲いていますでしょう? いやな花だなあ。もう三月は咲いていますよ。散りたくても散れぬなんて、気のきかない樹だよ。」
僕は聞えぬふりして卓のしたの団扇をとりあげ、ばさばさ使いはじめた。
「あなた。私はまたひとりものですよ。」
僕は振りかえった。青扇はビイルをひとりでついで、ひとりで呑んでいた。
「まえから聞こうと思っていたのですが、どうしたのだろう。あなたは莫迦に浮気じゃないか。」
「いいえ。みんな逃げてしまうのです。どう仕様もないさ。」
「しぼるからじゃないかな。いつかそんな話をしていましたね。失礼だが、あなたは女の金で暮していたのでしょう?」
「あれは嘘です。」彼は卓のしたのニッケルの煙草入から煙草を一本つまみだし、おちついて吸いはじめた。「ほんとうは私の田舎からの仕送りがあるのです。いいえ。私は女房をときどきかえるのがほんとうだと思うね。あなた。箪笥から鏡台まで、みんな私のものです。女房は着のみ着のままで私のうちへ来て、それからまたそのままいつでも帰って行けるのです。