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いかりのむし
怒りの虫
豊島 与志雄
「群像」1951(昭和26)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,457 字 · 24 页
もっとも、御婦人たちは、ここにいる御婦人たちは、着物の袖口が擦り切れてなんかいない。然し、吾々男子は、擦り切れた服で堂々とのし歩いても、一向に構わんじゃないか。」
初めは、なんのことか、あたりの者も解しかねたが、やがて、不穏な空気がふっと漂ってきた。
川村が先刻、挨拶の中で、上衣の袖口のことを洩らしたのである。アメリカ旅行中、赤毛布式な失敗はあまりしなかったが、或る招待の宴席に臨んだ時、自分の上衣の袖口がだいぶ擦り切れて見っともなくなってるのに気付き、それからはへんに、内心恥かしい思いをした、というのである。川村は富有な実業家で、いつも、その晩も、きりっとした身なりをしていたし、アメリカ旅行中に果して、袖口の擦り切れた上衣を着ていたかどうかは、疑問だった。それになお、彼の話の調子では、上衣の袖口のことは一種の比喩で、日本の文化や経済などの一般情勢を暗示してるのだと、感ぜられないこともなかった。それを今、上衣の袖口そのものだけを持ち出して、木山は憤慨してるのである。
「なにが恥かしいことがあるものか。僕だったら、この擦り切れた背広で、アメリカだろうとイギリスだろうとフランスだろうと、堂々とのし歩いてやる。