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きょうふのくちぶえ
恐怖の口笛
海野 十三
「富士」1934(昭和9)年8月号~11月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 60,713 字 · 122 页
一郎はなぜ弟の屍体を追わなかったのだろう。果して彼は弱虫だったろうか。
麗わしき歌姫
その翌日のこと、西一郎はブラリと丸ノ内に姿を現わした。そして開演中の竜宮劇場の楽屋へノコノコと入っていった。赤星ジュリアの主演する「赤い苺の実」が評判とみえて、真昼から観客はいっぱい詰めかけていた。いま丁度、休憩時間であるが、散歩廊下にも喫煙室にも食堂にも、「赤い苺の実」の旋律を口笛や足調子で恍惚として追っている手合が充満していた。これが流行とはいえ、実に恐るべき旋律であった。
「まア西さん、暫くネ――」
とジュリアは一郎を快く迎えた。
「イヤ早速、僕のお願いを聞きとどけて下すって有難うございます。これで僕も失業者の仲間から浮び上ることができます」
一郎はジュリアに頼んで、レビュウ団の座員見習として採用してもらうこととなったのであった。彼は長身の好男子だったし、それに音楽にも素養があるし、タップ・ダンスはことに好きで多少の心得があったので、この思い切った就職をジュリアに頼んだわけだった。日頃我儘な気性の彼女だったが、弟を殺された一郎に同情したものか、快くこの労をとって支配人の承諾を得させたのであった。