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あるおんなのしゅき

或る女の手記

豊島 与志雄

「婦人倶楽部」1920(大正9)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,447 字 · 37 页

青空文庫

其処はいつも非常に人通りが少なかったにも拘らず、私は彼とすれ違っても別に恐れないほどになっていた。私のうちには、それほど高慢な心が芽を出していたのである。

十月の末、私はお友達から美事な菊の花を貰って、いつもより少し遅くお寺の前を通りかかった。彼が表に立っていた。私は気にも止めなかった。私を見て少し歩き出した彼の側を、私は平気で通りぬけようとした。すると、右手に持っていた菊の花に後ろから何かが触って、花弁が少し散り落ちた。

「あ、済みません。」

そういう呟くような声が響いた。顧みると、彼は妙に慌てたような様子で、すたすたと御門の中にはいっていった。私は笑い出したくなるのをじっと我慢した。それから次に、俄に思い当ることがあって立ち止った。もしや、もしや手紙でも袂に入れられたのではないかしら……と私は思ったのである。

私は両の袂を探ってみた。何もはいっていなかった。身体中検めてみた。何処にも変った点はなかった……ではやっぱり単なる偶然だったのだろうか? そう思う外はなかったけれど、そうだとはっきり肯定することの出来ないようなものが、私の心の中に在った。