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あるおとこのしゅき

或る男の手記

豊島 与志雄

「中央公論」1924(大正13)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页

青空文庫

そしてその日の午後に、私は身体一つで松本さんの下宿へ飛んでいきました。松本さんは私がやって行くと、ただ遊びに来たものとでもお思いなすったのでしょう、初め何だか嬉しそうにそわそわしていらしたが、私の様子がやはり変だったと見えて、いやに真面目な鹿爪らしい調子で、いろんなことをお聞きなさるんです。私も初めから何もかも訴えて縋りつくつもりだったものですから、これまでのことを残らず話してしまいましたの。すると、松本さんは非常に憤慨なすったので、私もまた更に腹が立ってきて、二人でさんざん河野さんの悪口を云っていますと、途中から、松本さんはいやに黙り込んでおしまいなさるんです。晩の御飯を頂いてる時なんか……だって外に出かける間がないうちに、日が暮れてしまったんですもの。下宿屋の御飯なんか、薄穢くて私もうつくづく厭ですわ。それを松本さんはうまそうに召上りながら、何だかじっと考え込んで、碌々私に返辞もなさらないんでしょう。そして御飯が済んで暫くたつと、いきなり私の方に向き直って、河野さんのやり方は何処までも悪い、然しあなたは全然正しいかって、そう仰言るんです。全然正しいって……まあ何のことでしょう。