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いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ

所謂批評の「科学性」についての考察

戸坂 潤

「文芸」1938(昭和13)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,581 字 · 21 页

青空文庫

主観的な偶然性を消去するために、印象を繰り返し、つつきまわし、比較し、実験し、等々して見るのである。之によって自分の自分らしい個性ある印象が、次第に明白になって来る。印象の明白感と自明感とによって心内的実験が確立される。之で少なくとも自分自身にとっては、出来るだけ客観的な印象となるわけだ。自分にとってだけは、主観の偶然性をそれだけ脱皮した(偶然性を主観に由来するというラプラス以来の古典的偶然論の誤りを今仮に度外視するとして)客観性と必然性とを、この印象は持って来るのだ。

もし批評というものが身辺的なものに止まっていていいならば、批評はこのような意義に於ける印象の内に終止してよいわけである。つまりこの場合は、所謂印象批評の上乗のものであるわけだが、勿論こういう印象批評であっても、批評のあり得べき一つの親しい様式として、大いに意味のあることは否定出来ない。もしこの意味での印象批評を身辺心境小説やその意味での私小説に存在理由があるように、所謂印象批評も一定の右のような条件の下に、それに相応しい価値を持っているだろう。

だが、元来身辺小説やその意味での私小説の文芸道に於ける不満や不充分さと思われるものはどこにあるか。