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ゆび
指
佐左木 俊郎
「文学時代」1929(昭和4)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,262 字 · 5 页
一
彼女は銀座裏で一匹のすっぽんを買った。彼女のそれを大型の鰐皮製のオペラ・バッグに落とし込んで、銀座のペーヴメントに出た。
宵の銀座は賑っていた。彼女は人の肩を押し分けるようにしながら、尾張町の停留所の方へ歩いた。店を開きかけた露店商人が客を集めようとあせっている。赤、青、薄紫の燈光が揺れる。足音が乱れる。
「もしもし! 奥さん。」
彼女は誰かに呼びかけられたような気がして立ち止まった。彼女の肩に、無数の肩が突き当たり、擦り合って行った。鼠色の夏外套、鮮緑の錦紗。薄茶のスプリング・コオト。清新な麦藁帽子。ドルセイの濃厚な香気。そして爽かな夜気が冷え冷えと、濁って沈澱した昼の空気を澄まして行った。
錯覚だったのだ。誰も呼んではいなかった。鼠色のハンチングを眼深に冠った蒼白く長い顔の男が、薄茶の夏外套に包んだ身体を、彼女の右肩に擦り寄せるようにして立っているだけだった。
彼女はその男から逃れるようにして、車道を越えて向こう側の舗石道に渡ろうとした。電車がピストン・ロットのように、右から左へ、左から右へと、矢継ぎ早に掠めて行った。青バスが唸って行く。