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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

宮様とはいったい何者なのか私達は知らない。何も知らないけれども尊敬しなければならないのだ。昼頃から、線路の上を巡査が二人みまわっている。

障子を閉めて、はだかで、チエホフの退屈な話を読む。あまり暑いので、梯子段の板張りに寝転んで本を読む。風琴と魚の町、ふっとこんな尾道の物語りを書いてみたくなる。

母は掃除を済ませて、白い風呂敷包みの大きい荷物を背負って商売に出掛ける。

階下のおばさんが、辛子のはいったところてんを一杯ごちそうしてくれる。そろそろ、宮さんがお通りじゃンすでエ……近所の女衆が叫んでいる。

轟々と地ひびきをたててお召列車が通る。障子の破れからのぞくと、窓さきの堤の上に巡査が列車に最敬礼をしている。巡査の肩に大きいトンボがとまっている。羽根が白く透けてふるえている。汽車の窓の中に白いカヴァがちらちらして、赧い顔の男が本を読んでいたのがすっと過ぎ去る。

真実な一つのフイルムが、線路をすっとかき消えて行く。巡査が頭を挙げる。すばやく障子の破れから私は頭を引っこめる。

忍耐づよい貧民。力が抜ける。それきりの為に、また固く障子を閉めておく。負担になってもにこにこ笑って土下座している。