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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

「おそく上って済みません。」

「いいえ、私活動へ行って来たのよ。」

「あんまりおそいんで、置手紙をしてたとこなんです。」

別に話もない赤の他人なのだけれど、吉田さんは私に甘えてこようとしている。鴨居につかえそうに背の高い吉田さんを見ていると、私は何か圧されそうなものを感じている。

「随分雨が降るのね……」

これ位白ばくれておかなければ、今夜こそどうにか爆発しそうで恐ろしかった。壁に背を凭せて、かの人はじっと私の顔を凝視めて来た。私はこの男が好きで好きでたまらなくなりそうに思えて困ってしまう。だけど、私はもう色々なものにこりこりしているのだ。私は温なしく両手を机の上にのせて、灯の光りに眼を走らせていた。私の両の手先きが小さく、慄えている。一本の棒を二人で一生懸命に押しあっている気持ちなり。

「貴女は私を嬲っているんじゃないんですか?」

「どうして?」

何と云う間の抜けた受太刀だろう。私の生々しい感傷の中へ巻き込まれていらっしゃるきりではありませんか……私は口の内につぶやきながら、このひとをこのままこさせなくするのも一寸淋しい気がしていた。ああ友達が欲しい。こうした優しさを持ったお友達が欲しいのだけれども……私は何時か涙があふれていた。