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うえの
日和下駄 一名 東京散策記
永井 荷風
永井荷風『日和下駄 一名 東京散策記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:上野、巷の声、帝国劇場のオペラ、百花園、申訳。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,955 字 · 70 页
日露戦争の後から大正四五年の頃まで市中到処に軍人風の装をなし手風琴を引きならして薬を売り歩くものがあった。浅井忠の板下を描いた当世風俗五十番歌合というものに、「風ひきめまいの大奇薬、オッチニイ」とその売声が註にしてある。此書は明治四十年の出版であるが、鍋焼温飩の図を出して、支那蕎麦屋を描いていない。之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟。
支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音がある。曾て場末の町の昼下りに飴を売るものの吹き歩いたチャルメラの音色にも同じような哀愁があったが、これはいつか聞かれなくなった。按摩の笛の音も色町を除くの外近年は全く絶えたようである。されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫があるばかりとなった。
新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。
その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道が塵塚談の如きは、今猶好事家必読の書目中に数えられている。