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にほんにおけるくりっぷんじけん
日本に於けるクリップン事件
谷崎 潤一郎
「文藝春秋」1927(昭和2)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,290 字 · 21 页
細君というのは、実際の歳は二十四五かもしれないけれど、ようよう二十前後にしか見えない若さで、この女が真っ先に村民の眼を驚かした。彼女は毎日午頃になると、留守宅に鍵をかけて、太い鎖で犬を曳きながら、散歩に出かける。その時の服装が異様であって、この近所には珍しい断髪の頭に、派手なメリンス友禅の、それも色の褪めかかった、ひどく古ぼけた振袖を着て、紫のコール天の足袋を穿いた風つきはなかなかの美人であるだけに、どう考えても癲狂院のしろものであった。そして彼女は、犬を連れて一と廻りすると、一旦家へ帰って来て、それから大概、午後二時時分に、今度は恐ろしくハイカラな、キビキビとした洋服を着、鞭のような細いステッキを振りながら、電車でどこかへ出かけて行った。あの奥さんは亭主の留守に家を空けて、毎日どこへ行くのだろうと、久しく問題にされたものだが、間もなく彼女は、大阪の千日前や神戸の新開地へ出演する歌劇女優であることが分った。つまり夫婦は共稼ぎをしているのであった。細君は夜が遅くなるものだから、朝のうちは床の中で眠っているらしく、亭主はいつも、会社へ出勤する時刻、――午前七時頃に、表や裏口へ鍵をかけて出るのが見られた。