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にほんふどうき
日本婦道記
山本 周五郎
忍緒
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,672 字 · 20 页
一
一
はたはたと舞いよって来たちいさな蛾が、しばらく燭台のまわりで飛び迷っていたと思うと、眼にみえぬ手ではたかれでもしたようにふいと硯海に湛えた墨の上へおち、白い粉をちらしながらむざんにくるくると身もだえをした。松子は筆をとめてそれを見た、ふだんは部屋にひとついても身ぶるいのするほど嫌いな虫だったけれど、そのときはどうしてかいたましく哀れに思え、つと書き反古の紙をとって、しずかに墨しるの中から救いあげてやった。なかばは無意識でしたことだったが、さてその墨にまみれた蛾をどうしたらよいかとあたりを見まわしたとき、ふと自分の心をかえりみてどきっとした。――あらぬものにたよった。自分で自分の心にそれを感じたのである。いけない、気持がみれんになっている、つねのままの自分ではない。そう思い、おのれの気をひきしめるように、蛾をのせている紙をそのまま柔かくまるめて反古箱へ捨てた。
ここは上野のくに沼田城の奥どのである、城のあるじ伊豆守真田信之は、徳川家康の上杉征討軍に従うため兵馬をそろえて数日まえに出陣していった。城には妻の松子が六歳になる仙千代と三歳になる隼人のふたりの子をまもって留守をしていた。