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にちろく
日録
山本 周五郎
「日本読書新聞」1961(昭和36)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,076 字 · 11 页
と言いかけた。たぶん、うしろの豪傑はそれを待っていたのだろう、紳士がみなまで言い終らないうちに、殆んど紳士の口から言葉が出たとたんに、がらがらした、凄みのある、やけくそなような声でどなり返した。
「なんだようこの野郎」
その声はやけくそのようであり、凄みのあるがらがらしたもので、とうていその五十がらみの紳士の交際慾を唆るものではなかったらしい。紳士は背を跼めて席を立ち、背を跼めたまま他の席を求めるべくたち去った。私はその豪傑に拍手しようとは思わなかった。むしろ怒りを感じた。怒りのために胸が痛んだ。けれどもすぐに、私はその怒りをねじ伏せたのである。――この春、私は北国へ旅にいって来たが、急行列車の一等車室で、同じような例を見たのだ。一等車内で紳士とみえる乗客が、前の席の背凭れに足をのっけているのである。そして、その前の席にいる客は、うしろからのせられてある足をよけるために、頭を左へずらせて凭れているのが見えた。私は同行した若い友人の木村久邇典に向って、その紳士の無耻と無礼をならし、往き来する車掌がこれに注意しようという眼つきさえしないことについて、軽侮と罵倒をあびせかけ、憐愍を投げつけた。