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やせがまんのせつ
明治十年丁丑公論・瘠我慢の説
福沢 諭吉
福沢諭吉『明治十年丁丑公論・瘠我慢の説』。同一底本的分册已合并为一书。收入:瘠我慢の説、旧藩情。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,663 字 · 48 页
さて、この立国立政府の公道を行わんとするに当り、平時に在ては差したる艱難もなしといえども、時勢の変遷に従て国の盛衰なきを得ず。その衰勢に及んではとても自家の地歩を維持するに足らず、廃滅の数すでに明なりといえども、なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後に斃るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。これも哲学流にていえば、等しく死する病人なれば、望なき回復を謀るがためいたずらに病苦を長くするよりも、モルヒネなど与えて臨終を安楽にするこそ智なるがごとくなれども、子と為りて考うれば、億万中の一を僥倖しても、故らに父母の死を促がすがごときは、情において忍びざるところなり。
左れば自国の衰頽に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を講ずるか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなわち俗にいう瘠我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単にこの瘠我慢に依らざるはなし。