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えいがとみんぞくせい

映画と民族性

伊丹 万作

「映画評論」1944(昭和19)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,175 字 · 11 页

青空文庫

我々はもつて瞑すべきであろう。

私はここで一時アメリカの映画が世界を風靡した事実を想起する。我々はそれをこの眼で見てきた。アメリカの映画業者にとつては、地球の全面積が市場であり、彼らの住む西半球は市場の一部にしかすぎなかつた。このような映画の歴史は人々の頭にあまりにも強烈な印象を焼きつけてしまつた。そのため、人々はともすれば映画に民族性のあることを忘れ、国境を無視して流行することが映画の第一義であるかのごとく錯覚してしまつたのである。

しかし、私をしていわしむれば、これらの事実は、世界がまだ芸術としての生育を遂げ得ない過渡期の変態的現象にすぎなかつたのである。もしも映画が真に芸術であるならば、それは何よりもまず民族固有のものとならなければならぬ。すなわち各々の民族は各々の映画を持たなければならぬ。そしてこのことは徐々にではあるが現に世界の隅々において現実化の方向をたどりつつある課題である。

近くは、我々に最も同化しやすいといわれる朝鮮の人々さえ我々の提供する映画だけではもの足らず、彼ら自身の映画を作り出すために苦悩をつづけているではないか。

かつて映画が言葉を得て自由にしやべり始めたとき、ある人が、映画は言葉を得たことによつてかえつて国際性を失い退化したと嘆じた。