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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

その時に実隆はかれこれ批評すべきわけではないけれど、たっての要求故にやむを得ず厚顔至極をも顧みずして心底を述べておいたと、その日記に書いている。されば文明九年ごろからして始まったこの両人の交情は、普通の師弟関係とは異なり、宗祇が実隆に負うたところのものも、また決して少なからぬことであった。宗祇が室町殿に出入し、その連歌の会に臨んだのは、よほど以前からのことらしく、長享二年三月には義尚将軍からして連歌会所奉行を仰せ付けられた。これより以来この奉行人を時人呼んで宗匠と号したと、『実隆公記』に見えているが、これけだし宗匠なる名の濫觴であろう。しかしてこの会所開きの会が長享二年四月の始めに催された。されば宗祇もその殊遇に感じ、将軍薨去の後、延徳二年三月に、故将軍すなわち常徳院殿のため、四要品を摺写し、十人ほどに勧誘して、和歌を詠ぜしめ、これを講じたことがあって、その時には実隆もその経の裏に歌を書いてやったとのことだ。これらから推しても、宗祇はその幕府との関係において、実隆の推挙によったのではないらしいが、『新撰菟玖波集』の修撰のことから延いて、宗祇と宮廷との関係を生じたのは、これはひとえに実隆の取成しによったもののようだ。