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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
ところが文亀二年になると、西面の築地新造の際西の方があき地であったので、二間ほどそのあき地へ押し出したことが日記に見え、また南の方は不遠院宮と地続きであったがその不遠院宮でも同様に西の方へはみ出されたと日記に記されてある。しかしてそれがかつて応永の末日野資教の住した地だといっている。さすればこれは武者小路の宅ではない。実隆の家は明応九年六月下旬の火災に類焼したのであるから、おそらくはこれが移転の原因となったものであろうと思われる。さてその引移り以前の武者小路の住宅はいかなるものであったろうかというに、前に述べたとおり、宅地そのものは南向きで、北は今出川の通りまでぬけておった。一般の公卿の邸宅の例に洩れずして、往来に面した方は土塀すなわち築地をもって囲われ、その築地の外側には堀を穿ってあったのであるが、これが土砂のために浅くなるので、時々浚いをしたらしい。深くしておかなければならぬのは、盗賊の用心のためである。しかしながらこの外堀のみでは、安心ができぬによって、さらに釘貫をつけそのうえ土塀の内側にいま一条の堀を廻してあった。されば南門からして入っても、先ず一の橋を渡らなければならない。