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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
この内堀は東西南北の四面に在ったらしいが、東南の角だけは、後に埋め立てられて築山になった。これは多分物見に便するためであったろう。家屋は宅地の中心より少々西に偏しており、庭はその東方にあったらしい。母屋の西の方には、独立の小家屋があったが、これは三条西家で久しく召使った老官女の扣家であって、明応九年の類焼の前年に取り毀ちになった。その理由は『実隆公記』に、「修繕手廻りかぬるため」とあって、その跡が用心のため、西内堀に直されたのである。旧宅は今出川の通りからして、武者小路の通りまで貫いておったのであるが、新宅の方は西の方が室町通りに面しているのみで、南は不遠院宮北は新大納言の典侍の間に挾まっておったらしい。新大典侍の方からして北方の地を割いてくれとの交渉が永正七年にあったのを見ると、どうしても地続きとしか思われぬ。西側が往来に面しているからして、新宅の此側の用心はなかなか厳重で、例の釘貫の設備もあった。築地も造り直した。西北隅には矢倉があった。門の前には土橋を構えたとあるが、これはもちろん塀の外の堀に架した橋だ。南、東の側には塀内に堀があったらしく、北側の用心に、釘貫のあったことだけは明かである。