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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

しからばその召仕にはいかなる者どもがおったかというに、最古参者は父公保の時代永享十一年十八歳で三条西家へ奉公し、もって実隆の代に至るまで歴仕した右京大夫という侍女である。彼の武者小路の家で西の小屋に住しておった者すなわちそれで文明十五年ごろまでは、その母なる者も存生であったらしい。永正元年八十三歳まで勤続して落髪し、法名を光智禅尼といった。その後五年にして老病のため永正六年に歿したが、実隆はこの侍女の三十四歳の時に生れ、厚く介抱を受けているからして、その亡母の年回にも贈り物をし、その老官女が歿した時は、葬式その他万端特別の待遇であって、命日には法事をも営んでやったほどである。この老官女の下に梅枝という下女があった。これも久しく召仕われた婢で、永正二年その中風で歿した時の条に、「三十余年召仕う正直ものなり、不便にして力を失しおわんぬ」とあるから、おそらく文明の初年ごろからしてこの家に奉公した者であろう。されど老官女ですら、私穢を厭う当時の習慣のために、その病革まるに及び、来客の輿を借りて、急にこれを近所の小庵に移したくらいであるから、まして梅枝のごときは、死に瀕してから夜分今出川辺に出してしまった。