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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
約言すれば時効にかかるほど久しく放棄した財産なのである。ところが不思議にも催促の効能が見えて、長享三年の三月に三千疋だけ納入になった。実隆の喜悦一方ならず、「小分といえども先ず到来す、天の与えというべきか。千秋万歳祝著祝著」と記している。三千疋を小分というのは、今までの怠納を計算するとかなりの多額になっているからで、一か年の定額は千疋、盆暮に五百疋ずつというのがきまりであったらしい。長享三年の春からして、延徳三年の五月までおよそ二か年間に催促して取り得た総額は、二万疋以上に達し、延徳二年以前の分はこれで勘定がすんだとあるが、おそらくはあまりに古い未進をば、切りすててしまったのかも知れない。前にちょっと述べた通り長享二年からの催促には、ひととおりならぬ手数をつくしたもので、義尚将軍薨去につき土岐右京太夫が斎藤越後守を従えて四月入洛し、土岐は芬陀利花院に、斎藤越後守は東福寺に宿営すると、早速にまたたびたび催促の使者を差し向けた。延徳二年の秋には葉室家が義植将軍に昵近なのを利用し、葉室家に頼んで土岐への御奉書を出してもらった。翌年の秋に土岐がまた坂本の陣に戻ると、さらにそれへ使者を出した。