轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
とうようぶんかしにおけるぶっきょうのちい
東洋文化史における仏教の地位
高楠 順次郎
外務省文化事業部に於ける講演、1930(昭和5)年2月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,830 字 · 69 页
と話した。それでは日本に行ったらよい、いまちょうど遣唐大使丹遅真人広成の船が帰ろうとしている、それに乗って行くならば日本に楽に着く。それじゃ乗せて行ってもらおうというので二人は遣唐大使の船に乗って日本に来た。
この船はじつに日本にとっては宝の入船で、帰朝左大臣になり文部卿になり日本の法政、軍政、文政、大学の全般をことごとく整備したともいうべき吉備真備が乗っている、留学の帰路である。それと同時に興福寺から送られた留学生の中で一番偉い人である玄※(「日+方」、第3水準1-85-13)もいる。奈良の大学頭になるために招かれた音博士の袁晉卿、これはシナの人で招聘されて来た学者、同じく日本に招聘されてシナから渡って日本に戒律を伝えるために先発師として送られた道※(「王+睿」、第3水準1-88-34)法師。まだ他にもたくさんおりますが、これに林邑の大音楽師仏哲とインドのバラモン僧正がいる。その船が大阪に入って来ますというとこれを迎えに出たのが行基菩薩、四天王寺にあった雅楽寮の楽師を率いて、海口に迎えました。行基菩薩が迎えるというと直ちに自分の尋ねる文殊だと思い込んでしまった、文殊であったかも知れないほどの偉い人であった。