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りんご

林檎

豊島 与志雄

「女性」1924(大正13)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,752 字 · 24 页

青空文庫

彼の見つめてる方を見ると、向うの女の子が寝返りでもしたらしく、向う向きにつっ伏していて、母親が半ば眠りながら本能的な手付で、その背中を無心に軽く叩いていた。男はつっ立ったままその方を見ていたが、やがてがくりと座席に腰を下して、マントの襟に顎を埋め、両手を胸に組み、眼を閉じて、いつまでたっても動かなかった。私は長い間、その狂人とも常人とも分らない男を、陰鬱な気持で見守っていたが、変に不気味な圧迫を感じてきた。恐らく彼は、私や他の凡ての乗客を棒杭のように思って、そして自分も棒のようにじっと坐り込んだのであろう。

汽車はもうとくに盛岡を通過していた。隧道にさしかかると魔物のような音を立て、全速力で走っているらしかった。私は窓の硝子の曇りを指先で拭いて、外の景色を透し見たが、ただ暗澹とした夜だけで、何一つ眼にはいるものもなかった。私はまた空気枕に頭を押しあてたが、変に不安な気持に頭が冴えて、なかなか眠れそうになかった。前の腰掛の男は、眠ってるのか覚めてるのか、先程の通りの姿勢で、棒のようにじっと坐っていた。私はそれをまた長い間見守っていたが、眼に疲れを覚えてくると、ぐるりと横手へ向きを変えて、腰掛の背にもたせた枕へつっ伏した。