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うめづしえんおうでん
梅津只円翁伝
杉山 萠円
「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页
ものであったろうか。
晩年の翁が栄達名聞を棄て、一意旧藩主の知遇に奉酬する態度を示した心境は或はこの間に培われたものではあるまいか。
明治二年四月四日、長知公は新都東京へ上られた。翁も例によって御供をして荒戸の埠頭から新造の黒田藩軍艦環瀛丸に乗り、十三日東京着。隔日の御番(当番)出仕で、夜半二時迄の不寝番をつとめた。毎月お扶持方として金十五円二歩を賜わった。
この時翁の師匠、喜多能静氏(喜多流十三世家元。現家元六平太氏は十四世)は根岸に住んでいたが、その寓居を訪うた翁は「到って静かで師を尋ねて来る人もなかった」と手記している。
しかしこれは矢張り翁独特のつつしまやかな形容に過ぎなかったらしく察しられる。
その能静氏の根岸の寓居は現在もソックリそのままの姿で石川子爵が住んで居られる。まことに堂々たる構えであるが、しかもこの明治二年前後は、能楽師が極度の窮迫に沈淪していた時代であった。現家元六平太氏が家元として引継がれた品物は僅かに張扇一対というのが事実であったから、能静氏も表面は立派な邸宅に住みながら、内実は余程微禄した佗しい生活に陥って居られたものであろう。