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うめづしえんおうでん
梅津只円翁伝
杉山 萠円
「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页
という懇な御言葉であった。
その当時の前後の状況は筆者は詳しく知らないが、いずれにしてもこの依頼が翁にとって非常な重責であったことは云う迄もない。
しかしこの時の翁の立場から見ると、徒らな俗情的な挨拶や謙遜を以て己を飾るべき場合でなかったようである。翁も亦、能静氏の恩命を思い、流儀の大事を思い、翁の本分を省み、且つ、依頼者の知遇を思えば、引くに引かれぬ場合と思ったのであろう。
「重々難有御言葉。何分老年と申し覚束なき事に存候。しかし御方様よりの仰せに付、畏まり奉る。まことに身に余る面目。老体を顧ず滞京、千代造稽古の儀御請申上候」
と翁の手記に在る。
同年一月十九日、芝能楽堂で亡能静師の追善能があった。翁も能一番(当麻?)をつとめた筈であるが、その当時の記録は今、喜多宗家に伝わっている事と思う。
その後、毎日もしくは隔日に翁は飯田町家元稽古場に出て千代造氏に師伝を伝え、又所々の能、囃子に出席する事一年余、明治二十六年十一月に帰県したが、何をいうにも、流儀の一大事、翁の一生の名誉あるお稽古とてこの間の丹精は非常なものがあったらしい。もっとも現六平太氏が、千代造時代に師事した人々は只圓翁一人ではなかった。