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うめづしえんおうでん
梅津只円翁伝
杉山 萠円
「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页
梅津朔造氏の「安宅」の披露能の時であった。勧進帳が済んで関所を越え、下曲前のサシ謡のところへ来るとシテの朔造氏がホッとしたものか、急に持病の喘息が差込んで来て、「たださながらに十余人」の謡を謡いさしたまま息を呑んでシテ座に平伏してしまった。
そこで謡を誰が代りに謡ったか記憶しないが下曲を終り、ワキとの懸合いに入ると、やっと朔造氏が気息を繕って顔色蒼然たるまま謡い出し、山伏舞を勤め終ったが、その焦瘁疲労の状は見るも気の毒な位であった。
朔造氏は幕に這入ると、装束のまま楽屋の畳の上に平伏して息も絶え絶えに噎せ入ったが、その背後から翁が、
「ええい……このヒョロヒョロ弁慶……ヒョロヒョロ弁慶……」
と罵倒する大声が、舞台、見所は勿論、近隣までも響き渡ったので、観衆は皆眼を丸くして顔を見合わせていた。
その時の筆者は十四五歳であったろうか。何事かと思って見所から楽屋を覗きに行ったものであったが、その時の翁の声と顔付の恐ろしかった事を想起すると、今でも肌に粟を生ずる思いがある。
◇
梅津利彦氏が十七八歳頃の事であったろうか。右手に赤塗のお盆を持って翁の後から舞台に行くので、子供心に何事かと思って随いて行った。