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ばいしのつえ
梅颸の杖
吉川 英治
「文藝春秋 オール読物号」1930(昭和5)年7月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,966 字 · 32 页
『待て、待て、四郎次』
『なんですか、先生』
『そこに、杖があったな』
『たしかに有りますぜ。安心しておくんなさい』
『いや、疑ったのではない。その杖を持って、わしの五体を打ちすえて貰いたいのだ』
『えっ、撲ってくれというんですか』
『そうだ、骨にこたえるほど打ってくれ』
『ご冗談でしょう、先生』
『頼むのだ、打ってくれ。その杖をもって、打ってくれるものは、お前よりほかにはない。妻にはその力がない。友も打ってはくれまい。山陽の悪口を言い廻る人間も打ってはくれない。――母も打つことはして下さらなかった。打て、四郎次』
『いいんですか、ほんとに』
『おお。強く』
『打ちますぜ』
四郎次は、杖をふりかぶって、膝を正した山陽の肩を打ちすえた。
なおと、求めるような彼の瞑目に、四郎次の手は、思わず三つ四つ五つと、つづけざまに杖を下した。
突然立ち上って、奪うように杖を自分の手に収めた山陽は、四郎次より先にその家を出て、大坂へ来れば必ず立ち寄る小竹の家にも顔を見せず、淀の一番船のうちに活々と朝の大気を吸っていた。
(昭和五年)