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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 117,781 字 · 235 页

青空文庫

女は、まだその時まで、仙吉を罵りやめないでいたが、次郎が自分の方を見ているのに気づくと、急ににっこりして、

「坊ちゃん、どうもご苦労さま。おかげでこの人に馬鹿にされないですみましたよ。……じゃあ、量ってもらいましょうかね。今日は容れものを拝借するのもどうかと思って、私の方で持参しましたよ。」

と、いったん表の方に出て、誰かを手招きした、すると、間もなく、襟に春月亭と染めぬいてある法被を着た男が、リヤカーに沢山の空罎をのせてやって来た。

次郎はその空罎が売場に並べられると、甕の栓をひねって、片っぱしから、それに酒をつめて行った。彼の手はいくぶんふるえていた。ただでさえまだ不慣れな手だったので、桝からこほれる酒がやけにあたりに散らばった。

「もったいないわね。」

女は、そばに立って、次郎の手つきを見ながら、何度もそうつぶやいた。また、

「いやに色がうすいようだね。色だけは灘酒みたいじゃないの。」

とも言った。次郎は、しかし、一言も口をきかなかった。そして、量り終って、女の手から預証を受取ると、それをその場でずたすたに裂いた。彼の眼には久方ぶりで涙がにじんでいたのである。