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かじか

河鹿

岡本 綺堂

「婦人公論」1921(大正10)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,671 字 · 12 页

青空文庫

そういうわけだから、いつもより早起きをしてすぐに湯に浸って帰ってくると、隣座敷では今ようよう起きたらしかった。僕は注意して隣りの様子をうかがっていたが、やっぱりいつもの通りに静まり返っていて、ゆうべの怪しい声については何にも知らないらしい。しかしその声はたしかに隣り座敷に相違ないので、僕の疑問は容易に解けなかった。といって、隣りへわざわざ押し掛けて行って、ゆうべこういうことがありましたがと報告するのも変だから、まあそのままに黙っていると、その日は案外に朝から快晴になったので、水の音も陽気に聞こえる。山の色も眼が醒めたように鮮かに見える。ゆうべほとんど一睡もしなかった僕も、なんだか軽い気分になって、あさ飯をすませると、すぐにステッキを振って町の方へ散歩に出て、きょうも一時間あまり歩きまわって、宿の方へ帰る坂道を降りてくると、ちょうど隣り座敷の女中に会った。女中も町の方へ買物に出て、これから宿へ帰る途中なので、ふたりは一緒につながって坂道を降りて来たが、僕はゆうべの一件が胸にあるので、わざと馴々しく話しかけて、彼女の口から何かの手掛りを探り出そうと努めた結果、こういう事情を始めて聞き出した。