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しおかぜ
潮風
豊島 与志雄
――「小悪魔の記録」――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,018 字 · 25 页
小料理屋なんかうるさいから止めて、※(「さんずい+粛」、第4水準2-79-21)洒な喫茶店でも始めたいと、気の弱いことを云い出した。片野さんの方では、津島さんから話のあった会館の室の、大凡の設計が出来上りかけたなどと話していたが、少しも気乗りのしてる風ではなかった。何かへんに冷たい空気だった。そして二人は、二階に上っていった。
おかしいのは、二人とも、佐代子に言葉もかけなかったのである。佐代子はまるで忘れられたように、そして自分でも自分を忘れたように、板場の奥に引込んでいたが、一人きりになると、俄にぞっと震えて、それから急いで後片付をすまし、電燈を消したが、板場の奥の一つだけを残して、そこの火鉢の上にかがみこんでじっと考えに沈んだ。
いつまでも彼女は身動きもしなかった。火鉢の火にぼんやり眼をすえて、心で、何か聞き入り見入ってるようだった。
恐らく故郷のことでも、潮風のことでも、思い出していたのだろう。
彼女の父親が難破して死んだのは、彼女の十歳の時だった。それから彼女が小学校を終えた翌年、母親は感冒から肺炎になって死んだ。彼女は近くの町に出て、料理屋の女中になった。