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ちちのてちょう

父の手帳

宮本 百合子

「中條精一郎」(追悼録)、国民美術協会、1937(昭和12)年1月発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,342 字 · 13 页

青空文庫

僅か千五百円ずつで経営されはじめたことを知り得ます。小切手のこと、支払いのこと、一つ一つが細心に実際的に考えられており、事務所備品として製図用紙五〇、丁定規五つ、から羽箒六つ、時計一つというまことに小規模の新世帯の様がまざまざとうかがわれます。そして、後年事務所が八重洲ビルの三階に移転するまでずっと仲通りの事務所の狭い入口の左手にかかっていた真鍮のサインの図案も、この記念的な帳面の上で、いくつか試みられている中の一つで best と自筆で書いてあるのが、実現されたのであったこともわかりました。

建築家として父の活動がおのずから示した消長には、日露戦争以後における日本の社会経済と文化との波動が実に脈々と反映していることが観察されます。

曾禰先生と御一緒に八重洲町の事務所が開かれたのでしたが、先生と父とではいろいろの点のやりかたが随分違っていたように感じられます。娘としての当時の私の生活にうつった面だけですが、曾禰先生は、事務所へ御家族が見えるということをなさらなかったようです。父は、普通の日でも執務時間が終る頃母や子供を事務所へ立ちよらせ、その時分ハイカラアなところのように思われていた中央亭で家族揃って夕食をたべたりしたことがよくありました。