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ごくちゅうへのてがみ

獄中への手紙

宮本 百合子

10 一九四三年(昭和十八年)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 215,557 字 · 426 页

青空文庫

それは彼女に大変ためになっていました。チェホフが亡くなって後、彼女はどんなにその教訓を生かして自分を高めてゆけたかと云うことに就ては知りません。芸術座で見た頃の彼女はひどく平凡でした。

ヤルタのチェホフの家は、南欧風の窓があって、庭もひろく、机の上には、象牙の象が幾つも並んでいました。いろんな写真がどっさりあって、細々とした感じの書斎でした。彼の生れたタガンローグの町は、アゾフ海のそばで、ロストフのそばで、其処にある家はいかにも小さな屋台店の持主らしい、つつましい四角い小家でした。黒海をゆっくり渡って、ヤルタへ上陸して、耳にネムの花を差して、赤いトルコ帽をかぶったダッタンの少年がロバを追って行く景色などを見ると、この辺が古い文化の土地でギリシャや、ルーマニアの影響をもっていることを感じました。山の方に行くとダッタン人の部落があって、せまい石の段のある坂道の左右に、清水の湧く、葡萄棚の茂ったダッタン人の家があります。日焼けした体に、桃色のシャツを着た若い者などは、いかにも絵画的です。ヤルタから、セバストーポリまでは、黒海の海岸ぞいのドライヴ・ウエイで、その眺望は極めて印象に強く残ります。