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いなかいしのこ

田舎医師の子

相馬 泰三

「早稲田文学」1914(大正3)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 37,947 字 · 76 页

青空文庫

一

六年振りに、庸介が自分の郷里へ帰って来たのは七月上旬のことであった。

その日は、その頃のそうした昨日、一昨日と同じように別にこれという事もない日であった。夜の八時頃、彼は、暗く闇に包まれた父の家へ到着した。

彼は意気地なくおどおどしていた。玄関の戸は事実、彼によって非常に注意深く静かに開けられたのであったが、それは彼の耳にのみはあまりに乱暴な大きな音を立てた。「なあにこれは俺の父の家だ。俺の生れた家だ。……俺は今、久しぶりに自分のふるさとへ帰って来たのだ!」彼は、心の中でこう自分自身に力附けようとした。

誰もそこへ出て来る者がなかった。彼はそこに突立ったまま、何と言葉を発していいか、また、何としていいか自分に解からなかった。「来るのではなかった。やっぱりここは俺の来る所ではなかった。そうだ。……否、まったく何という馬鹿げた事だ。この家は俺の生れた家だ。……それ、その一間を距てた向うの襖の中には、現在この俺を生んだ母が何か喋舌っているではないか。それがこの俺の耳に今聞えているではないか。そら! その襖が開くぞ。……そして、それ、そこへ第一に現われて来るのが、……お前の帰るのを一生懸命に待っていてくれた妹の房子だ。