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とざんはぼうけんなり

登山は冒険なり

河東 碧梧桐

「山 第一卷第三號」梓書房、1934(昭和9)年3月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,375 字 · 9 页

青空文庫

天候が変った。少し急ごう。いつの間にか我らも雲中の人になって、殆ど咫尺を弁ぜぬ濃霧だ。風が募って笠も胡蓙も吹き飛ばす。ザアーと大粒の力強い雨だ。

立山サラサラ越えの黒百合の伝説は、昔物語として一笑にしていたが、黒百合の怨霊、其の山荒れ、今覿面に、我らの頭上に降りかかって来たのだ。ただの山荒れでない恐怖も手伝って、前途は尚更ら暗澹戦慄。

何しろ着替一枚も持たない浴衣はビショ濡れ、雨の洗礼を全身に受けた聖者の姿、逃避しようにも見透しはきかず、寒くて寒くてじっとしては居れず、其の中ゴロゴロ雷は鳴る霰も交って矢のように打ちつける。正に天柱砕け地軸折るるかの轟音。えらい事になった、こんな時狼狽えるではない、と言っても別に心の落著けようもないのだ。私は、僅に脚もとだけ届く私の視野、そこには人の歩いた跡の自ら道になっている痕跡をたどって、一気に突進する外はなかった。ままよ、運を天に任して。いつか案内者にも、連れの男にもかけ離れてしまった。時々「オーイ」と呼んで見るが、それらしい返事もしない。

荒れ狂っている大自然と、孤軍奮闘する私であった。

この足跡が果して白山頂上への道なのか、それとも? 私は急に胸騒ぎをさえ感じながら、と言って、外に踏むべき道はないではないか?