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はくち
白痴
「新潮 第四十三巻第六号」1946(昭和21)年6月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,985 字 · 45 页
この女はまるで俺のために造られた悲しい人形のようではないか。伊沢はこの女と抱き合い、暗い曠野を飄々と風に吹かれて歩いている、無限の旅路を目に描いた。
それにも拘らず、その想念が何か突飛に感じられ、途方もない馬鹿げたことのように思われるのは、そこにも亦卑小きわまる人間の殻が心の芯をむしばんでいるせいなのだろう。そしてそれを知りながら、しかも尚、わきでるようなこの想念と愛情の素直さが全然虚妄のものにしか感じられないのはなぜだろう。白痴の女よりもあのアパートの淫売婦が、そしてどこかの貴婦人がより人間的だという何か本質的な掟が在るのだろうか。けれどもまるでその掟が厳として存在している馬鹿馬鹿しい有様なのであった。
俺は何を怖れているのだろうか。まるであの二百円の悪霊が――俺は今この女によってその悪霊と絶縁しようとしているのに、そのくせ矢張り悪霊の咒文によって縛りつけられているではないか。怖れているのはただ世間の見栄だけだ。その世間とはアパートの淫売婦だの妾だの姙娠した挺身隊だの家鴨のような鼻にかかった声をだして喚いているオカミサン達の行列会議だけのことだ。