轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

かがくろん

科学論

戸坂 潤

「唯物論全書 第一巻」三笠書房、1935(昭和10)年10月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 142,817 字 · 278 页

青空文庫

そういう風に経験を検証し蓄積し予見して行くことこそ、実験の一般的な性質だったのである。

従って一切の科学も亦実験的な本質を持っている。だがそのことはすぐ様、一切の科学が同様な仕方に於て実験という研究手段=操作を用いている、ということにはならぬ。もしそうでなかったら、例えば実験心理学とか実験動物学とか等々という言葉ほど無意味なものはなくなって了うだろう。実験的でない科学はなかったのだからだ。思うにこの実験心理学その他は、実験という研究手段を用いる限りの心理学その他を意味する。――但しそういうことは又、すぐ様、それが実験的方法を用いるということにはならぬのだが。

処で自然科学的方法に於ける実験的操作の役割が有つ重大さに就いては、もはや説明の余地はないだろう。問題は社会科学に於ける夫なのである。――普通社会科学に於ては実験という操作は全く不可能だと考えられている。だがこの見解には少くとも異論を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むことが出来るのである。現にF・シミアンなどは、実験的操作の意味を極めて広く理解している。単に事物や観念を分離・蒸溜・抽象化する機能を実験だと考え、自然科学ではこの操作が物質的であるのに、社会科学では夫が単に観念的であるという相違しかないのだ、と主張する