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きょうそう

競漕

久米 正雄

「新思潮」1916(大正5)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,312 字 · 34 页

青空文庫

彼らはわざとしているのか真に動き得なかったのか、とにかく一人では立てぬまでに疲れ果てていた。

たった半艇身の差が何という感情の異り目を造ったことであろう。時間にすれば二分の一秒を出ない間である。空間にすれば二間と出ないところである。そして全体の水路から見て真に何百分の一に足らぬ間である。この少しばかりの、しかも効果の恐ろしく大きな差は、そもどこから出たのであろう。主将の窪田は全く一本の櫂ごとにちょっとずつの差が出るという予定があったであろうか。毎日の練習の何分間かの優越がこの差を伴ったと久野自身も信ずることができるであろうか。もしこっちの選手の誰れかが一本櫂を流したらどうだろう。たちまち勝敗の数は転倒するかも知れない。久野がちょっと舵を入れ損なったらどうだろう。たちまち艇は追い抜かれたかも知れない。真に危うい勝敗であった。「それはともかく勝ったには違いないんだ」と久野は置き去られた敵の艇をなおも見ながら考えた。

その間に応援船が四方から漕ぎ寄せた。選手はやっと蘇ったように勝利を感じ出した。

勝利というものの齎らす感情は、真にすべてのそれの中で、最も妙な複雑なものである。