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たけのさとびと
竹乃里人
伊藤 左千夫
竹乃里人「馬醉木 第六號」根岸短歌会、1903(明治36)年11月13日<br>竹乃里人「馬醉木 第八號」根岸短歌会、1904(明治37)年2月2日<br>竹の里人「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日<br>竹乃里人「馬醉木 第十二號」根岸短歌会、1904(明治37)年7月15日<br>竹の里人「馬醉木 第十三號」根岸短歌会、1904(明治37)年8月25日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,338 字 · 29 页
悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思って居たのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きて居ることであった。
この文については先生もやや得意であったらしかった、平生先生は自分に対し世間から称誉的の批評などがあっても、ついぞ悦ばれたようなことはなかった、ただこの文について当時真宗派の雑誌、『精神界』というのが大に先生の言に注意した賛同的の批評をされた時に、折柄訪問した予にその『精神界』のことを話され、半解の人間に盲目的の賛詞をいわるるくらいいやなことはないが、また『精神界』などのように充分にこちらの精神意義を解して居ての賛評は、知己を得たような心地でしい云々、
これを話頭としてこの日は、その悟りということにつきすこぶる愉快な話をした、その時のこと今日充分には記憶して居ないが、大要こうであった。
予はまず、私は彼の先生の文について非常な興味を感じました、悟りということとは少し見当が違うかも知れませんが、自分にも多少の実験がありますので一層愉快に拝見しました、私は彼の文を読んで先生は実に大剛の士であると思った