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はんちゅうとしてのくうかんについて

範疇としての空間に就いて

戸坂 潤

――之は一つの習作である――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 45,453 字 · 89 页

青空文庫

処がこれは主観と客観の対立に外ならない。故に約束に従って之は認識論的である。不用意に、範疇が概念であると云う時、それはなお存在論的とも認識論的とも考えられる余地があるわけである(この混雑は恐らく概念が一切のものを自らの内に含み得る能力、云わば平均性 Nivellierung を持っていることから起こるであろう)。さてカントの考えは何れであるのか。明らかに認識論的である。このことは第二にカントの範疇が判断の形に於てあることによって再び証明されるであろう。「範疇は、与えられた直観の多様が夫によって規定される限りに於て、正にこの判断の機能に外ならない」(K. d. r. V. B., S. 143)。処が少くとも此の場合に於ては判断は判断されるものに就いての判断である。客観に対する主観である。故に茲に於ても亦カントの範疇は認識論的でなければならない(概念ということが直ちに認識論的ではないことと同じに又それに類して、判断ということも直ちに認識論的であるのではない。「論理的」ということに就いてもかく云うことが出来る。之は後に明らかとなるであろう)。カントの範疇をかくの如き意味に於て――認識論的という意味に於てである――徹底したものはヴィンデルバントである。