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ききがきしょう
聞書抄
谷崎 潤一郎
谷崎潤一郎『聞書抄』。同一底本的分册已合并为一书。收入:聞書抄、覚海上人天狗になる事、紀伊国狐憑漆掻語、三人法師。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 108,821 字 · 210 页
人ばかりですから、迷惑していますと、一人の方が聞し召した盃を持ちながら、私の傍へちか/″\と寄って来られて、人一人をへだてゝ、おもいざしを賜わったので、あゝ、これが尾上殿だなと、はじめて合点してそのお盃を戴いたことでした。さて夜も明け方になって、八声の鳥の鳴く音、寺々の鐘のおとにきぬ/″\の別れを惜しみつゝも、行くすえ変らぬ約束をして、まだ暗いうちに女房は立って行かれましたが、寝みだれ髪のひまから匂う艶なかおばせを見送っていますと、妻戸をあけて、縁へ出られて、
ならはずよたまにあひぬる人故に
今朝はおきつる袖のしらつゆ
と遊ばしたので、わたしも直ぐにお答えしました。
こひえてはあふ夜の袖の白露を
君が形見につゝみてぞおく
そう云うことがあってからは、始終御所へ参りましたが、時には忍んで私の宿へ入らせられることなどもあり、御苦労なことだと仰っしゃって、将軍からその女房へ、近江の国のうちで千石千貫の土地を差上げたりなさいました。そうこうするうちに、私はその時分北野の天神を信じていまして、毎月廿四日には参籠をするのが常でしたのに、その女房のために近頃とんと怠りがちになっていました