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しぜんびょうしゃにおけるしゃかいせいについて
自然描写における社会性について
宮本 百合子
不詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,820 字 · 12 页
ここの中から過去の歴史になかった文学が生れはじめている。安らかにそこで休安することのできるような自然らしい自然を持たない民衆の生活の闘いから誕生する文学が、現れはじめているのである。その文学の中で、自然の美は当然最小限にしか、その断片しかありようがない。自然が、歪んだ社会条件でどんなにひどくきりこまざかれているかという、その姿がある。
では、とかく牧歌的な空想をもって文学に扱われて来た田舎ではどうであろうか。これに答えるのは、今日の農民の貧困の現実がある。農村の生活で自然の美を謳うより先に懸念されるのはその自然との格闘においてどれだけの収穫をとり得るかという心痛であり、しかも、それは現代の経済段階においては、純粋な労働の成果に関する関心ではなくて、債鬼への直接的連想の苦しみなのである。せんだって私は信州に数日暮し、土地の新聞を見て、深く感じた。信州は養蚕地であるから、本年の繭の高価は一般の農民をうるおしたはずであり、例えば呉服店などで聞けば、今年は去年の倍うれるという。しかしながら、新聞は、繭の高価を見越し、米の上作を見越して債権者はこの秋こそ一気に数年来の貸金をとり立てようとしているから、それを注意せよ、当局もそこから生じる紛争を警戒している、というのである。