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かしょく

花燭

太宰 治

1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,501 字 · 38 页

青空文庫

ひとにものをたのまれて、拒否できるような男爵ではなかった。

「ああ、いいよ。いいとも。」

撮影所から退去して、電車にゆられながら、男爵は、ひどく不愉快であった。もとの女中と、新橋駅で逢うということが、いやらしく下品に感じられてならなかった。破廉恥であると思った。不倫でさえあると考えた。行こうか行くまいか、さんざ迷った。行くことにきめた。約束を平気で破れるほど、そんなに強い男爵ではなかった。

九時に新橋駅で、小さいとみを捜し出して、男爵は、まるで、口もきかずに、ずんずん歩いた。とみは、ほとんど駈けるようにしてそのあとを追いながら、右から左から、かれの顔を覗き込んでは、際限なくいろいろの質問を発した。おもに、故郷のことに就いてであった。男爵は、もう八年以上も国へ帰らずに居るので、故郷のことは、さっぱり存じなかった。それゆえ、さあ、とか、あるいは、とか、頗るいい加減な返答をして堪えていたがおしまいには、それもめんどうくさく、めちゃめちゃになって As you see など、英語が飛び出したりして、もう一刻も早く、おわかれしたくなって来た。そのうちに、とみは、へんなことを言いはじめた。