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かつしかみやげ
荷風随筆集(上)
永井 荷風
永井荷風『荷風随筆集(上)』。同一底本的分册已合并为一书。收入:葛飾土産、鐘の声、銀座、里の今昔、寺じまの記、伝通院、夏の町、日和下駄、深川の散歩、放水路、水のながれ、向嶋、向島、元八まん、霊廟。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,224 字 · 269 页
江戸時代にあっては堤上の桜花はそれほど綿密に連続してはいなかったのである。堤上桜花の沿革については今なお言問の岡に建っている植桜之碑を見ればこれを審にすることができる。碑文の撰者浜村蔵六の言う所に従えば幕府が始て隅田堤に桜樹を植えさせたのは享保二年である。ついで享保十一年に再び桜桃柳百五十株を植えさせたが、その場所は梅若塚に近いあたりの堤に限られていたというので、今日の言問や三囲の堤には桜はなかったわけである。文化年間に至って百花園の創業者佐原菊塢が八重桜百五十本を白髭神社の南北に植えた。それから凡三十年を経て天保二年に隅田村の庄家阪田氏が二百本ほどの桜を寺島須崎小梅三村の堤に植えた。弘化三年七月洪水のために桜樹の害せられたものが多かったので、須崎村の植木師宇田川総兵衛なる者が独力で百五十株ほどを長命寺の堤上に植つけた。それから安政元年に至って更に二百株を補植した。ここにおいて隅田堤の桜花は始て木母寺の辺より三囲堤に至るまで連続することになったという。しかしこの時にはまだ枕橋には及ばなかった。それは明治七年其角堂永機の寄附と明治十三年水戸徳川家の増植とを俟って始て果されたのである。